子どもが勉強しないと
親である自分が進路に不安になって
「勉強しなさい」と口うるさく言ってしまう。
あるいは
「あなたのため・・」と、
子どもの望まないことを押し付けてしまう。
これらの親子関係に共通しているのが
境界=バウンダリー の問題
です。
つまり、
子どもの領域と親の領域に境界線を引けず
起こっていること、ということです。
な~んだ、その話か、って思われる方も
いらっしゃるでしょうか?
あるいは、
何それ、聞いたことがない、という方も
おられるかもしれませんね。
すごく簡単に言えば、
自分は自分、相手は相手
ということです。
「え?相手との間に壁を作るっていうこと?」
って思われたでしょうか?
また、これを親子に当てはめてみると
「なんだか冷たい感じがする」
と思われる方も多いかもしれませんね。
そもそも、
言葉で自己主張することを大事にする欧米とは違って
日本は察する文化で、
「お互いさま」という感覚もどこかにあります。
境界線を引くと言われると
相手の問題は無視をするとか
何かを求めている相手を、冷たく放置するような印象を持つ方も
多いのかもしれません。
あるいは、親子間で冷たく感じるのは
干渉的なかかわりが愛情深さを
感じさせるからかも知れません。
しかし、そうではありません。
相手との間に境界を意識すること=
相手を尊重することです。
また、それは自分の領域を守ることにも
なります。
さらに、そうすることでお互いの安全・安心感が
生み出されます。
私自身も日本で生まれ育ったので、
はじめはバウンダリーの感覚というのが
ピンとこなかった方です。
もちろん、自分が育った親子関係がどうだったか
の影響も受けます。
けれど、親子関係だけでなく
あらゆる人間関係を境界線という視点で見たら
とても分かりやすいと思います。
例えば、
上司の愚痴ばかり聞かされることや
ママ友からプライベートな話ばかり詮索される
というのも同じです。
どちらかが相手の境界に侵入して、
どちらかが侵入されているのです。
すると、侵入された人の安全・安心感が
脅かされます。
そして、
この安心感というのは
守られていて安心という意味と同時に、
安心して自分と向き合うことができる
安心して自分の世界を持つことができる
ということで、
もっと、子どもの視点で言えば
安心して自己の悩みを抱えることができる
という一段深い意味で捉えることができます。
思春期の子どもで考えてみると、
安心して複雑な自分の心と向き合える
そんな環境を与えてもらえること
そう言えるのではないでしょうか。
一つ、誤解を避けるために言うと、
いつも、ゼッタイに、境界を侵してはならないし、
侵入されてもいけない、ということではありません。
誰にでも、
「遊び」の部分はあると思います。
子どもが不登校などの状態にある時は
たしかに親子それぞれの問題を分離して考えることは
難しいことかもしれません。
子どもが安心して悩める環境を作るのは
親御さんにとって覚悟の要ることかもしれません。
それでも、
やはりこのバウンダリーを意識することが
解決への重要なポイントだと思います。